決断

自分はこれまで全然決断をしてこれてないのだと思う。
大学行くのも、院進するのも、就職するのも。
研修を受けるかどうかも、D進するかも。

決断することはすごく難しく感じる。
自分が決めたことが自分にどれだけ影響を与えるのか、想像がつかないほど怖くなる。

そういえば前に人間の脳は恒常性を持つという話を目にした。
変化を嫌うのはいわば本能なのかしれない。

しかし、決断をしていかないと、もっと言えば能動的に決断していかないと成長していけないと思う。

人間の脳は可塑性も持つという。
日々小さいことを決断していけば、いつか大きなことも決断できるようになっていくだろうか。

決断するためにはその結果を考えてなければならない。
決断するということは、考えるということである。
決断するということは、情報を集めるということである。
決断するということは、選択肢を知っているということである。

まずは決断に立ち向かうことを決断することから始めるとするか。

何をして生きるのか

自分は義務感がないと勉強しないと思う。
内的動機で論文サーベイしないんじゃないか。
やっぱり研究者はやってられなかったかな、そんなもんなのかな。

そもそも義務感がないと何もしないのでは?
ひたすらゴロゴロし続けたとき、何をしたくなるのか。
一時期イースとかかしたかった。
情熱はどこかに眠ってる?

たぶんやりたいことはある。
でも仕事に繋がらないことも多い。
色々な景色を見たい。それは心から願っている。
なら、今は目の前の仕事をやってみればいいんじゃない?向き不向きも自然と分かっていくでしょ!
今は仕事があることに感謝して生きて行く。

自分と世界の関わり方を決められるのは自分なのだ。

刹那的に生きるっていい言葉。
それは常に今に全力ということ。
新しい仲間にそれを教わった。

人は文脈に生きている

人の好きや嫌いなどって、それまでに経験してきた文脈に結構依存するんじゃないかな、と思った。

花譜という歌手をご存知だろうか。

バーチャルシンガーでクラウドファンディングによるライブを最近行ったらしい。

ぶっちゃけまともに聞いたのさっきだから何も知らん。
でも、かなり心地よく聞けた。
好きと言ってもいいだろう。

そこで、はて、なぜこの人の曲に興奮を覚えるのか?と思った。
作曲はカンザキイオリらしい。
調べると、ボーカロイドで曲を投稿している人のようだ。

なるほど、だからか、とその時納得した。
ボーカロイドの曲という文脈はニコニコで青春をすごした自分にとって非常に慣れ親しんできたものだ。
だからこそそこを感じ取り、興奮と感動をより覚えるのではないか。

わざわざ好きでないものに触れることは少ない。
そうして同じ文脈を重ね続けることで、好みが固まっていくのだろうか。

どうせなら、多少は柔らかくしていたいものだ。

7/29 自分の自覚

みんなが自我を意識するようになったのはいつだろうか?
前、そんなnoteを見た。

自分の場合、今の自分を等身大に捉えて、その自分を使って生きていくしかないと考えるようになったときだ。

それまでは、自分は何者かになれるという、自信、憧れ、夢、無謀、切望、現実逃避、というなにかを持っていたと思う。

だが、自分を変えるにせよ、スタートは今の自分で、そこはどうしようもない、悔やんでいても仕方ない。

そのとき、初めて自分というものを強く自覚し、世界と自分を切り離すようになったと思う。